[ 1-1. 日記 ]
これから仕事をどうしていくかは、もうなんとなく決めている。
自分の、弱いとこも、負けず嫌いのとこもわかってる。
いくつもの欠点と、少しの長所もたぶん。
人生をこれからどうしていくかは、まだ全然わからない。
5年後のことを、先日会った友人は語ったけれど、わたしには5年後どころか5ヶ月先も見えない。5日後なら見えるのか? わからない。出た、また「わからない」が出た。あー。
「難しい」って口癖が治ったと思ったら「わからない」だ。
いつ、何が起こるかわからない。
でもたぶんわたしは、運命論者的なところがある。
すべては起こるべくして起こっているし、すべての責任は本人が負うもの、意味のないものなんて無い(だけど、すべてのものに意味を求めないようにしないとならない。見間違うから)。
他者との関わりの中で人が存在するのだとしたら、本質で関われない我々は、存在していないのと同じなのかもしれない。
時々、存在しているだけで好きな人に迷惑をかけるから、もっともっと遠くへ行かなきゃと思う。
2007年8月21日(火) 02:13 | コメント(1)
[ 1-1. 日記 ]
こんなに凹んでたら仕方ないよね、とか、夏バテしてたし夏風邪もひいたしね、とか、言い訳はたくさんあるが、それにしても赤字だ。
目を向けたくなかったけど、ひどいなー。ひどい。ひどいこれ。ここまでひどいのは会社設立以来初めてです。びっくりするなー。
9月の売り上げ予定は普通にありそうだけど、それでは補填できないくらい。
目標達成どころか、赤字かー。そうか。
仕方ない。
本当はここへ来て、売り上げが落ち込んだのは、ここ数ヶ月の問題じゃない。
わたしの気持ちがずっと乱れてたからだ。それが積もって、今の結果が出てる。わたしが少しずつ信頼をすり減らしてきたからだ。
悔しい、という気持ちが出てきたのは、前向きな感情でよいと思う。
毎日、わたしは物語と仕事で、いろんなことを抑えている。
彼が消えてから、わたしを助けてくれた物語は、小説4冊とDVD4本くらいかなー。あ、それと、まんが喫茶10時間くらい。
仕事は時々わたしを苦しめるけど、それでも助かっている。
人は他者との関わりなしには存在できない。
01:02 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
顔を洗っていたら、急に哀しくなったので、涙が止まるまでずっと洗い続けなきゃならなかった。
きみはまだ、わたしのことを思い出すことがあるのだろうか。
2007年8月19日(日) 16:15 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
彼と、わたしは、よく似ているところがあった。
特に内面的なところ。性格的なところ。対人関係に関するところも。
もちろん、全然違うところもある。彼はこだわりを持つことができる。わたしはできない(わたしはその「こだわり」を自分の持ち得ないものとして尊敬していた)。
でもそうか。確かに似てた。
少しわかった。
今、苦しいだろうなー。
立場が違うので、今のわたしの苦しみとは種類が違うけど。
ほとんど自責だろうと思う。
自責の合間に、麻痺したみたいにぼーっとする時間があって、その時間もまた自分を苦しめる要因になっているのではないかな。大丈夫か心配になる。その心配も届かないけど。
絵が描きたくなったり、文章が書きたくなったりして、実際にそれができているといいなと思う。
わたしがここで、胸のうちを吐き出しているように。
きっと、こうなって良かったんだよ。
彼はまたひとつ過去を引きずることになったかもしれないけど、間違いを正すことができた。
回復してないわたしが言うのもなんだが、回復を祈ります。本当に。
彼のことを恨まずにすんで良かった。
2007年8月18日(土) 06:46 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
きみがあんまりいろんな顔を見せたから、わたしは思い出すたびわからなくなる。
きみがどんな人間なのか。
やさしいのか冷たいのか、弱いのか強いのか。
どちらとも判断がつかない。
会えたときには分かった気がしたけど、
今となってはまた何一つわからなくなった。
何かの拍子に彼が言ったことがあった。
「あなたなら分かってくれると思った」
たわいもない話のときだったけど、わたしは、何も理解できていない自分に気付いた。
わたしはきみのことを曲解してしまうことを恐れた。
できるだけ客観的に見ようとした。
きみがどんな人なのか、自分がどんな感情を持っているのか。
きみが語る言葉の意味と、伝えたい内容と、考えていることを、理解したかった。
言葉でも行動でも言えないことを、よく文章で伝えてくれたけど、それが本当なのかもわからない。
あの苦悩のいくらかは絶対に真実。
でもひょっとしたら、きみの幻想が入っていたかもしれない。
こうだったらいいと、きみが思い、
そうだったらいいと、わたしが受け取った。
きみの性格を語れない。
明るいのか、暗いのか。
寂しがりやなのか、そうでないのか。
プライドが高いのか、低いのか。
それらの両方の例を思い当たる。
たぶん、きみはたくさん嘘をついたはずだから、わたしが混乱するのも当たり前なんだろう。
それでもこんなに「どんな人か」を語れない人は珍しいように思う。
知り合ってそんなに短いわけでもないのに。
最初から、きみのどこが好きってわけじゃなかった。存在が好きだった。
今もわからない。外見のことなら言えるけど、きみの内面のどこが好きってわからない。
好きだと思うところが嘘だったら怖いから、わからないつもりになっているだけかもしれない。
甘えるのと、甘えさせるのとどっちが好きかという話になったとき、きみは「甘えるほう」と即答したけど、きみは甘えるのがとても下手だった。
わたしは、「どっちも」と答えた。
曖昧な答えを出すわたしも、わかりにくい人間だろうか。
結婚願望の話になったときも、きみは「ない」と即答し、わたしは「わからない」と答えた。
林檎と梨では、きみは「梨が好き」だと言い、わたしは「どっちも好き」と答えた。
蕎麦とうどんでも、きみは蕎麦、わたしは決めることができない。
好きな映画も、好きな曲も、好きな作家でさえ、わたしには一番がない。
きみがどんな人間だったかということだけでなく、わたしがどんな人間なのかということも、わたしにはわからないんだな、と、今気付いてみる。
きみがいろんな顔を持っていたのも、嘘をついたのも、きみがどんな人間かわからないという理由にはなっていなくて、ただわたしがそういうのを、わからない人間だということなのかもしれない。
こんな人だったならいいなと思うことはある。
会えなくなってからのきみの様子を想像して、こうだったらいいなとか。
それらの想像の根拠はあっても、それらを覆す根拠もわたしは持っている。
きっとわたしは判断力に欠けている。
自分の思考も、嗜好もわからない。
わたしは確かにいろんなものが好きで、嫌いなものが少ないが、その中で何かにこだわりを持つことができない。
ここ数ヶ月は、きみのことを心の病気だと思っていたけれど、その数倍、わたしのほうがおかしいのかもしれない。
パセリが好きというのははっきりわかる。
あと、きみが好きだった。どんな人間かは関係なく好きだった。それもわたしの中では確かだった。
だからきみがいなくなるのが、こんなに苦しいのかもしれない。
きみがどんな人間かはわからないけど、一緒にいたら自分の中に確かさを感じられたのかもしれない。
他の人ではそんなふうにはならなかった。
きみがどんな人間か、もっと知りたかったと思う。
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