マサの見る空、青く
「大切な人」というテーマで某短編賞に出して落選
空を仰いでいる。
長い間。
だからと言って、ロマンチストだなどと思ってはいけない。
マサは、六十六歳だ。介護保険の認定審査も受けたが、そこらの中年よりは健康だと笑われてしまったらしい。マサも負けじと、ガハハと笑いかえした。死んだ彼女の夫にそっくりな笑い方だ。大きく口を開け。
そんなマサが空を見ている。
ロマンチストでないからと言って、ボケたかなどと聞いてはいけない。
マサに、女と思えぬ低く搾り出したような声で、ううう、と唸られる。それから、その辺に転がっているティッシュの箱だとか、テレビのリモコンだとかを、片端から投げつけられるのが落ちだ。
マサは縁側で紺色の座布団に座り、足を横に投げ出している。空を見るのをふと止めて、首を回す。肩を回す。目を閉じて、長い時間をかけ鼻から息を吐き出す。
マサのこの行動を見ているものは、誰もいない。
息子も、その長男も、息子の嫁も、みんな何処か行っている。職場や学校へ行っている。そこがどんな場所か、わたしはまだテレビでしか知らないけれど、とても疲れて帰ってくる。
マサは日中、ひとりだ。
いや、わたしがいる。しかしわたしは、自分を人間の数に入れて良いものだかわからない。まだ話すこともできず、二本足で歩くことも覚束ない。何より、今マサが人には見せない表情をしていることが、わたしを人間と思っていない証拠だと思う。
孫であるわたしの世話をマサが放っているというわけではない。ミルクや、母が作りおいた離乳食もちゃんと温めてくれるし、おむつ変えも手早い。危険なものが落ちていないか常に気を配っているし、遊ぶときはこれでもかというほど笑い皺を深くしてみせる。落ち度の無いベビーシッターで、その点についてわたしに不満はない。
ただマサはわたしが意志を持っているということや、その空を仰ぐときの哀しそうな横顔と細い背中を、寝たふりしながらわたしが見ていることを知らないだけだ。
時間はいつも同じだ。
お昼ご飯の少し後、眠くないから遊ぼう遊ぼうとマサの袖を引っ張るのだが、彼女は頑として聞かず、わたしをタオルケットにくるみ、ベビーベッドの檻に沈める。
「お昼寝の時間でちゅねぇ」
と、口調はやさしげだが、その時すでに微笑みには陰が宿っている。袖を掴むわたしの指は大きな手で一本一本慎重に剥がされ、すべて離れたときマサが既に遠いところへいるのがわたしにはわかった。
縁側は暑いだろうなあ。
空は高く青い。空にも縁側にも、夏の正午の刺すような陽射しを遮るものは無く、マサの横顔は皺の陰影濃く、いつもの何倍も老け込んで見えた。それでいて頬の部分は日に焼け少女のように赤く、チグハグな印象を与えるのだ。
マサを見ていると、蝉の鳴き声が一瞬止むように思うことがある。この熱気を喜んでいるのか哀しんでいるのか、ポカンと口を開けて上を見るマサとともに一瞬だけ時を止める。そしてその後、蝉はまた勢いよく存在を主張しだすのだが、マサだけがまばたき以外の動きを排除したまま時間に取り残される。
たまに、蝶や羽虫が視界を横切る。右端から現れた蝶に反応してマサは少し視線をずらす。それから、何か失望したように肩を落とす。鼻から長い息を吐く。そんなとき取り残されてるのは、マサではなくわたしなのかも知れないと思うこともある。わたしはいつ「人間」だと認められるのだろう。マサの哀しさはどうしたら癒すことができるのだろう。
今日はいつもに増して暑い。マサの横顔を見ながら眠りにつくはずが、わたしは背中や膝の裏にかいた汗の不快さに、何度も寝返りをうっていた。蝉の鳴き声も鬱陶しく耳障りだ。
わたしは泣こうかと息を吸い込み、ふと気付いた。
ベビーベッドの隣りに、干したての布団が積み上げられているのだ。わたしはうつ伏せになってずるずると柵のところまで這った。お日様の匂いの布団だ。柵の間から手を伸ばせば届きそうだった。
わたしは決意を固めた。
振り向いてマサを確認すると、相変わらず空しか見ていない。
こんなことをすると、母がマサを怒るかもしれないと少しだけ思ったけど、こんな機会はこれからいつ訪れるか知れない。
母が読んでくれる本の中で、玉ねぎ頭のリトルミィが言ったではないか。「戦うことをおぼえないうちは、自分の顔は持てない」。わたしは他の絵本に出てくるじっと待つばかりのお姫様より、小さくてはしっこくて、率直な言葉を吐くあの少女の方に好意と強い憧れを感じる。
柵を乗り越えるのは難しいことではない。ハイハイができるようになって既に一ヶ月経つのだ。自分の体を持ち上げるくらいの筋肉はどうにかついていた。
眼下の積まれた布団が恐ろしく遠く見える。細い柵の上でわたしは体をふらつかせた。心臓の音は蝉の鳴き声をも凌ぐ。眼を閉じた。ついでに息も止めて、そうして落ちた。
声を出しそうになるのを堪える。
後頭から落下したがどこも痛くない。ふかふかのお日様布団は、わたしを音もなく、柔らかく受け止めてくれた。
マサは気付いてない。耳が遠いことがわたしを救った。こんなに怖い思いをしたのだから、マサの見ているものをこの眼で確認しないことには、あれだ。マサのよく言うセリフ。死んでも死にきれない、だ。
畳の目はわたしと平行に進んでいたから、ハイハイで忍び寄るには好都合だった。
マサの真横に並んだ。
気付かれる心配はない。わたしは小さい。首が固まってしまうほど上を向いたマサの視界には入らない。
暗い室内から一歩縁側に出ると、眩しさに目頭がキリキリと痛んだ。反射的に眼を閉じたが、陽射しは薄い目蓋などものともしない。世界はまず白く、そして赤になり緑になった。
ゆっくりと眼を開いてゆく。
庭の土の茶色、木の根、幹、緑の大きな葉、その奥に広がっていたのが青い空。縁側から見るそれらはわたしのいつも見ていたものとは違っていた。
鮮やかでコントラストが強く、匂いたつような色と形。すべては生命力を持って存在した。
零歳児であるわたしにとって上を向いてじっとしておくことは困難だったけれど、マサと同じく口を開けたまま動けなくなった。
陽射しはきつく、風が生暖かくても、どこかから聞こえる風鈴の音がわたしを冷やしそこへ留めた。
どのくらい時間が過ぎただろう。
マサの肩がピクリと動いた。
ほぼ真下であるこの位置からでは、その表情を窺うことはできない。
ただ、視線の先はわかった。
高い空に飛んでいる、あの白い飛行機。
父が折ってくれる紙飛行機のように頼りなく思えるけれど、実際はどのくらい大きく、どのくらいたくさんの人を乗せているのだろう。
視界を右から左へと横切っていく。マサもわたしもゆっくりとそれに合わせて首を動かしていく。
スピードののろさを憎んだ。
マサの表情を哀しくさせている原因がこれならば、早く去ってしまえ。
触れるほど近くにいたわけではないが、マサが体を固くして飛行機を見送っているのは痛いほどわかった。
マサは小さく息をついた。わたしもそうしたかったが、まだ声量の調節がうまくできないので止しておいた。
しかし、ため息を引っ込めた代わりのように、ひとつ思い出したことがある。
マサの夫のことだ。わたしの生まれる前に死んだ祖父。
彼は山登りが趣味で、有名な登山クラブに入っていた。年甲斐もなく険しい山に挑戦し、お若いですねと言われては自慢気に髭を撫で笑った。息子や娘は危険だと反対したが、マサにはそんな夫を笑って見送る懐の深さがあった。それを、今後悔しているのかどうかは誰も知らない。
祖父は、これで最後にするからと真面目な顔でヒマラヤへと旅立ち、帰ってこなかった。
つい一年前の夏の話だ。
連絡が途絶えてから三ヶ月後に死体が見つかるまで、マサは夫の生存を信じていた。
飛行機に乗って、帰ってくると。
わたしは多分、母のお腹の中で全部聞いていた。覚えているはずもないのに、痛いほど状況も言葉も心に刻まれていた。マサの三ヶ月間流せなかった涙のことも。
蝉の声がまた一瞬空へ吸い込まれて消えた。
視界から飛行機が去った後も、マサはしばらく上を向いたままだった。まっすぐな飛行機雲が青の中を走っていて、それは傷のようにも見えた。
わたしは見つからないようにまたこっそりとベビーベッドに帰らねばと思った。
しかしどうせ無理なのだ。柵から落ちて脱出したのだから。わたしは飛行機と違って飛び方を知らない。
だからそのまま抱きついた。座布団の上に背筋を伸ばして座っている、マサの腰にしがみついた。
マサは驚いて中腰になり、空ばかり見ていた視線をわたしに落とした。
アー。
それだけしかわたしの声帯は発声できない。外に発するべき言葉は、まだ少しも覚えていない。
しかしマサも同じだ。何も言えなかった。言わなかったのかもしれないけれど。
ゆっくりと座りなおして、マサはわたしを膝に抱き上げた。
空の青ばかりが網膜に残っていたわたしには、マサの表情を読み取ることができなかった。
いつも自分がしてもらっているように、彼女の頭を撫でようと手を伸ばした。
精一杯。
でも届かなかった。
涙が出た。むずかるような声も出た。
伸ばした手はしわくちゃのマサのてのひらに包まれた。
カサカサとしたそれはとても暖かい。布団と同じ、お日様の匂いがした。
わたしもそうかもしれない、と思った。暖かくてお日様の匂いがして、わたしがマサに触れて安心できたように、マサも同じ気持ちを味わっているのかもしれない。だとしたら、どんなに良いだろう。
マサはわたしの背中を軽く叩き、心配そうにどうしたのと覗き込む。
眼が合った。そこに陰はなかった。マサは飛行機ではなくわたしを見ていた。
わたしは泣くことが上手でないマサのかわりに、思いきり声をあげて泣いた。マサのわたしをあやす手が、いつもより優しいような気がして、いつもより親しいような気がして、いっそう涙腺を刺激した。
泣き終えたら、笑おう。
赤ちゃんは大人の顔真似をする、とよく聞くけれど、わたしに言わせてもらえばそれは、まるで逆だ。そうしてまた逆になり、連鎖を始める。
お日様の匂いの消えないうちにわたしは、幸福のために笑おう。
祖父のようにマサのように、大きく口を開け、笑おう。
4.16th,2008 at 13:26
EUKARAへのリンクを残していただいていて感激です.
「長い間更新がなかったりするサイト」なのですけれど.
久し振りに話を書いたのでサイトも作り直してしまいました.
良ければ見てやってください.
赤ちゃんって笑っていても泣いていても和ませてくれる存在ですよね.
他人様の赤ちゃんしか接したことがないから言える台詞かもしれませんが.
それでは失礼しました.
次回作待ってます.