2006? 06?

なんでもないことを書きたい

よもぎさんがパソコン椅子の背によじ登るとか、
パセリさんとよく追いかけっこしているとか、
昨夜はひき肉とレタスを炒めたものを食べたとか、
グロンサン内服液はわたしには濃かったとか、
朝9時、クライアントさんが出社する前にシャワーを浴びて気持ちをしゃっきりさせようと思っていることとか、
雨も嫌いじゃないこととか、
雨がやんだほんの一瞬に鳥が鳴いたこととか、
早朝の4時くらいの時間帯が好きだとか。

夜の10時に眠って、朝の4時に起きれればいいね。
健康になるだろう。

怒りをぶつけられるのも仕方が無い。
わたしのせいだからなあ。打たれ強くならなきゃなあ。

さあ、お仕事を続けよう。

強力内服液

先月・今月とわたしに殺人スケジュールを課しているクライアントさんから、宅急便が届いた。

笑った。がんばりますよー。

贈り物

明け方に長い日記を書く。仕事はまだ残っている。

30分のはずが2時間に及んだ打ち合わせと、2時間ぐらいかと思っていたら5時間も熱中した打ち合わせを終えて、24時頃だったか、家にほど近いファミレスで仕事仲間とご飯を食べていたのです。

はじめは普通に仕事の話をしていたのだが、だんだん、そのうち一人の人生相談のようなことになっていって、「うおお。大丈夫だ。がんばれ!」という気持ちでいっぱいになったのだけど、「今自分は凹んでいます」と人に言えるのは、何だかうらやましいなと思ったのでした。

その悩みの渦中にある人は男性なのだが、皆でああだこうだと言っているとき、不意に泣きそうになった(ように見えた)。
わたしは目をそらした。
それはやさしさでなくて、逃げです。
状況がちょっと特殊なので、逃げるのが正しい姿勢なんだけど、その特殊性がもし無くて、たとえば酒など入っていたら、泣かせてあげたほうが良かっただろう。
その人も泣きたかったし、慰めてほしかったんだと、帰宅して3時間ほどたった静かな夜の今、思い至る。

お酒が入らないと言えないことというのが存在するって、前は理解不可能だったけど、今はわかる。深刻になり過ぎないという、大人世界に必要な利点がある。認めたくないがそれは大きい。

ああでも、深刻に生きて何が悪い。
皆もっと本音を話せばいいのに。

なんてことを思うわたしが、一番そういうことを話していない。
ここで感情を書くのみか?
状況の説明の仕方を忘れた。相談の仕方も忘れた。
聞いてくれたら答える、ということしかできぬ。
それさえ初めは茶化すことしかできぬ。
伝えたくともタイミングがわからぬ。
病んでいると言われれば否定できぬ。

人間をロジカルに分析するのが仕事の知人がいる。
分析してもらったほうがいいと皆わたしを指さした。自分でもそう思う。
だけど、人に自分の全てをさらすのが怖い。

怖いけど、本当は見せたい。
見せたいけど、本当に怖い。
状況を知る人が少しずつ出てきたけど、それぞれほんの一部のみ。ほんの事実のみ。
もし状況を全部話せたら、感情は全部隠してしまいそうだ。
泣くのを許してくれる人がないから仕方ない。

 
皆もっと泣くといいと思うんだけど。
哀しく、不安で、切ない世の中は、きっと平穏でやさしい。
最後に泣いたのはいつですか?

ならない

しなければならない、という思い込みを捨てよう。
これ、前も言ってたけど、つい自分に強要してしまうとこがわたしにはある。定期的に、撲滅作戦しなくちゃ戻ってくるようだ。

今だって、「思い込みを捨てよう」ではなく、「捨てなければならない」と書こうとした。
自分に課題が多いのだ。

正しくなければならない。
愚痴を言ってはならない。
くじけてはならない。

「しなければならない」というのは、恐怖心から生まれる感情なのだそうです。
自然体になろうね。
ただ自分の美意識に従いたいので、できれば正しく居たいし、愚痴も最小限でありたい。
でもくじけるときは、思いっきりくじけていいのかも。
本当はくじけているのに、「くじけてはならない」って、オイ。
そもそも完全な人間になりたいと思うのがどうかという話だろうか。

自然体になろうね。
肩の力を抜くという行為が難しいと感じ始めたのは、中学生ぐらいだ。歴史は長い。

しかし、「しなければならない」のついでに、「してはならない」も捨てたら、
とんでもない自分になりそうだ。
それは、完全な人間とはあまりに遠いが、理想の自分に近いのかもしれない。
不思議だ。

んー。

愚痴日記削除。
がんばれわたし。